2017年3月ももりんといちご日記

 

エベレストメモ

エベレストメール
   エベレスト街道NO1 出発準備

2016年11月21日〜12月21日までネパールへ

エベレストベースキャンプ〜カラパタール〜
チョラ・パス〜ゴーキョ〜レンジョラ・パス


25日間 エベレスト街道トレッキング

かなり前に、NHK BSで「天空の散歩道 エベレスト街道」を見て、

いつかチャンスがあったら行ってみたい。

と思っていましたが、まさか本当に行くことになるとは!!

カンカアル山岳会と仲良しの「山の会わたすげ」の「Iさん」から、
行く予定だけど一緒にどうですか?声をかけてもらいました。


今行かなければ二度とチャンスが無いかも・・期間は約1ケ月

今まで家を空けるのは精々10日が限度

夫の許しを(強引に)得て、あこがれのエベレスト街道へ旅立ちました

去年は6名の日本人が高山病で亡くなっているらしく、

私達が歩いている時に日本人がヘリで運ばれたことを後から知りました。

標高5500m、風呂無し、酒無し、着替えもほとんど無しで1ケ月も耐えられるのか心配


11 月 21 日〜 22 日

小樽〜千歳空港〜仁川〜カトマンズ


2016年11月下旬から12月中旬まで、25日間でエベレスト街道を歩きました。

メンバーは4年前に同じコースを歩いた、わたすげの「Iさん」。

Iさんのお友達で100名山制覇している、青森の「Kさん」と「Oさん」 合計4名です。

青森の 2名とは初対面です。

千歳空港〜 仁川で乗り換え、その日内に カトマンズに到着しまた。

飛行機を降りてビザを貰うのですが、空港職員は急ぐ様子は無く時間がかかりました。

約1時間待たされて空港を出ると、

日本に住んでいたこともある

「サティスさん」と女性スタッフの「園子さん」

が迎えに来てくれていました。

私たちのガイド兼トレッキング会社「ニレカアドベンチャー」の社長です。

4年前「I」さんが、同じコースを歩いた時のガイドさんです。

奥様は日本人で英語・日本がペラペラです。

私も札幌で一度会い、電話やメールで何度もやり取りしました。

園子さんとも何度もメールでやり取りしているので会うのが楽しみでした。



チベットホテルはとても快適なホテルでした。


ホテルまで車で送ってもらい、その日はホテルで就寝。

翌日も同じホテルに泊まりトレッキングの準備です。

普通のツアーは夜着いて、翌日から出発というツアーが多く、

疲れが残ったまま出発しますが、私達のツアーは、

4人のためだけの「ニレカのオリジナルツアー」

日本のツアー会社と違って、少人数で行けます。

天気や体調に合わせて臨機応変に変更できます。

価格も日本のツアーよりも3割以上安い

日本人の女性スタッフもいるので、メールでのやりとりはすべて日本語




カトマンズの空港と持参する荷物

翌日は、ホテルの部屋いっぱいに、荷物を広げて持ち物を吟味しました。

悩みに悩んだけれど、日本から持ってきた物をほとんど持って行くことになりました。

後で思うと、必要の無い物もたくさんありました。

スーツケースと山に持っていかない荷物は「ニレカ」が預かってくれます。

「ニレカ」から大きなバッグが与えられます。バッグはポーターが持ってくれる荷物。

自分で持つ荷物は日帰り装備のザックだけです。

出発前なのに風邪を引いてしまい、この先どうなるのか不安をたくさん抱いたまま

エベレスト街道に出発です





1日目  2016年11月23日



カトマンズ〜ルクラ〜パクジン    
1375m〜2840m〜2610m



早朝にカトマンズから小型飛行機でルクラに到着。

噂通り手に汗握るフライトで、どうか落ちませんように・・



飛行機を降りたら、クワンデの山が見えました。

すぐ近くのロッジで朝食を食べて出発です。



ここからいよいよトレッキングの開始です。

この方は初めてエベレストに登頂した女性だそうです。

ルクラから約200m標高を下り、今日の宿泊地はパクジンです。

私の服装は、日中は半そでのシャツの上に長袖のシャツ。下はズボンのみでした。

歩くと結構暑いです。寒くなったら薄いジャッケトを着用。

すれ違う人たちは、疲れ切った感じで最後の道を登って来ます。

疲れた帰り道、この道を登ると思うと気が重かった。

(まだ1日目なのに、もう帰りを気にしている)



今日の宿泊地パクジンに到着

夕食はネパール人の定番「ダルバート」(豆のスープ)です。



初めての宿泊は一人部屋を取ってくれましたが、(閑散期なので・・)

薄暗く怖い感じの部屋で、トイレの水がポタポタ・・

電気を点けっぱなしで一睡も出来ず朝を迎えました(笑)





2日目  2016年11月24日

パクジン〜モンジョ     
2610m〜2890m




タムセルクを正面に見ながら進みます。



ヤクやゾッキョがプロパンガスを運んでいます。

人間もコーラーや日用品やベニア板など、

重く大きな荷物を担いで登っています。

歩くしか運ぶ手段は無いのは大変な事です。



巨大なマニ石は時計回りに歩きます。



初めての吊り橋を渡ります。ドゥード・コシ川(ミルク川)

この後、数えきれないほどの吊り橋を渡りました。



吊り橋は長いので、酔った感じになります。

道はものすごい埃、マスクは必需品です。

喉をやられないように、鼻から吸って口から出すが基本。

マスクは眼鏡が曇るのが難点です。

コンタクトはNG持参したコンタクトは使わず、毎日眼鏡で過ごしました。

目の悪い方は「度付きサングラス」が必需品です。

道の至る所にゾッキョやヤクの糞があるので、足元ばかり見て歩きます。

景色に気を取られると、地雷(糞)を踏んでしまいますのでご注意を!!

普通ナムチェまで2日間で行きますが、私達は3日間かけて向かいました。



お昼には宿泊地のモンジョに到着しました。



お昼ご飯と夕ご飯

ザクロの実のデザート

初めて食べたけどおいしかった





3日目 4日目 2016年11月25日〜26日 

モンジョ〜ナムチェ  
2890m〜3400m 
    


ナムチェに着く手前に、展望台があります。



ここで初めて、エベレスが遠くに小さく見えます。

この旅の先の長さを感じるね〜

ここは1800年代まではチベットとネパールの国境で、

その頃の国境はネパール寄りで、ナムチェはチベットの一部だったそうです。




ナムチェは土曜日で、バザールが開催していましたが、

ほとんど「フリマ」に近かったです。

お店が出来て年々規模が小さくなっているらしい。




2人部屋を一人で使わせてもらいました。


宿泊は高台の博物館&ロッジで、部屋から見えるクワンデの景色が素晴らしい。

昼食後、急に具合が悪くなり「高山病?」と思い

「先は長いのに、この高度でダウン!?」

血中濃度が94なので、単なる風邪のぶり返しと分かり安心。

薬を飲み、暖かくして寝たら、翌朝にはスッキリでした。


何事も初めてだったので、緊張による疲れもあったと思います。

初日に一睡も出来なかったのも原因だと思いました。

高度順応のため、もう一泊ナチェに泊まります。



ナムチェで購入したの。

安いのでついつい買っちゃいます。



ロッジはこんな高台にありました。

下るとナムチェの繁華街があります。



大きなロッジでした。

隣にはシェルパ博物館がありました。



ロッジのオーナーは写真家で、

日本にも来たことがあるとのことでした。

食堂にはたくさんの写真が飾ってありました。





5 日目  2016年11月27日 

ナムチェ 〜クムジュング  
3400m〜3800m  




エベレストベースキャンプ・カラパタールを目指すには、

ホテルの裏の、小高い丘からスタートです。

サブリーダーのマンタレ君

一番後ろで私たちを見守りながら歩いてくれます。



急な登りの先には、ヒマラヤの真っ白い山々、

奥には8000m級の山々の景色が待っていました。



青い空、一本の道、全てが絵になるね



犬も山を眺めています。
我が家のいちごは元気かなぁ・・・




2時間程歩いたらエベレスト・ビューホテルに到着。

このホテルは日本人がネパール人雇用のために建てたホテルです。




素晴らしい景色

お茶とフライドポテトを注文して景色を堪能しました。

前日は曇っていたらしいのでラッキー



エベレストホテルから1時間下ると、宿泊地のクムジュンに到着ました。

エベレストに初登頂したヒラリーが創設した

サー・エドモンド・ヒラリー・スクールがクムジュン村にあります。



ロッジの後ろには「クンビーラ」

水の神が住む山という意味で、ここは水が豊富です。


ロッジは綺麗で暖かく快適でした。

この時期は閑散としていてストーブをなかなか点けてくれないロッジが多いのです



お昼ご飯もおいしい



久しぶりにネットを繋いで(500円)日本の様子とメールをチェックしました。

ここは2年前の地震でかなりの被害を受けていて、

4年前に伊藤さんが宿泊した所も被害を受けて今は無いらしいのです。

そんな話をしていたら、朝4時に大きな地震で飛び起きた!

幸い被害にまで及ばず良かったです。



宿泊したロッジとオーナー家族




6日目  2016年11月28日

クムジュング〜モンラ〜ポルチェ   
3800m〜3973m〜3700m  
   



今日は3973mの「モンラ」を経由して、宿泊地のポルチェへ下ります。

天気は曇りで肌寒い。



私たちはあまり人の通らない「ヤギ道」を歩きます。

狭くて急登が続きます。



狭い道にもヤクやゾッキョが登って来ます。

端に寄らないとぶつかりそうで危険です。



途中ネパールの国鳥「ダフィー」を見つけ、夢中でカメラを写す

動くので大変



今にも雨が降りそうな中、「モンラ」に到着しました。



振り返ると歩いて来たヤギ道が・・

お茶を頂きながら、

「ここのお姉さんの髪が綺麗だけど、こんなところでも洗えるのかなぁ?」

トイレを借りたら、洗面台にはシャンプー・リンス・トリートメントなど、

たくさん揃っていました。

手入れをしているんだね。
と綺麗な理由を納得した4名のおばさんでした。


そろそろ私たちも髪を洗いたいね〜〜

この寒さ、ぬるいお湯で髪を洗うと、

現地以外の人は間違いなく風邪を引きます



谷を挟んで向かいには、空中都市のような「ポルチェ」の村が見えます。



ポルチェのロッジで、日本人の若夫婦に会いました。

宿泊は私達以外はこの夫婦だけでした。

奥様が高山病でゴーキョを諦め下りて来たそうです。

自分もなったら・・・今後が心配になりました。




夕食は「ダルバート」でした。

豆のスープをご飯にかけて頂きます。

ここのオーナーは何度もエベレストに登っているらしいです。

緑はガイドのサティスさん、黄色がオーナー

閑散期のロッジは空いていて、スタッフもストーブを囲んで楽しそうです。

シーズン中はお客がたくさんで、スタッフは食堂に入れないそうです。


ここのロッジは部屋にトイレがあった。

1日4リットルの水分ノルマがあるので、

夜中に何度もトイレに行くので便利でした。





7日目  2016年11月29日

ポルチェ 〜パンポチェ  
3960m〜 3960m
    



ポルチェ村を後にして、



昨日と違い、ネパールダウンが出て気持ちいのいいトレッキング日和です。

(お日様が出てポカポカしていることを

「ネパール・ダウン」(ダウンのように暖かい)と言います。



これから先「アマダブラム」が形を変えて見ることになります。

ナムチェを出発して、クムジュング〜ポルチェ〜パンポチェは、

マイナーなコース&シーズンオフで、ロッジはどこも空いていました。

トレッキング中も現地の人以外とは会いませんでした。



ここパンポチェはエベレスト街道最奥の常住村です。

ここから先の建物は、トレッキング用のロッジと、

夏場に放牧の為に使う小屋があるだけです。



お昼ご飯はサンドイッチ・ポテト



夜はスパゲテー もも(餃子のことです)

スタッフが3食作ってくれます。



ここのロッジの経営者は、僧侶も兼ねているらしく、

私たちに白いスカーフ「カタ」を掛けてくれました。

チベット仏教では人に対して敬意を表すとき、

これを肩にかける習慣があるそうです。

お客は私たちだけでした。

スタッフもストーブを囲んで・・・





8・9日目  2016年11月30日〜12月1日

パンポチェ〜デンポチェ
3960m〜4410m




パンポチェから荒涼とした道を歩くと、



ディンボチェのロッジが見えてきます。

4410mのデンポチェに2日間泊まります。



標高が上がる程に、朝夕は寒く窓には霜がビッシリ。

ここはトレッキングのためのロッジがあるだけで、

人々の生活の場ではありません。

エベレストベースキャンプ・カラパタール・チュクン方面に行く人は、

ここに泊まり高度に備えます。




この丘に登って高度順応しました。



たくさんの外国人も順応のために登っていました。



丘の上からの景色

右端が私たちのロッジです。



明日歩くトクラまでの道



お日様が出ているうちに衣類を乾かしました。



午前中は雪景色になりましたが、

通年よりも今年は暖かいとのことでラッキーでした。



夕食はおでん
4000m超えを記念して、スタッフからケーキのプレゼント

夕食を食べていると、オーストラリアの男性が高山病で下山して来ました。

お茶も飲めないほど苦しそうで、体調が戻ったら下山するそうです。

5000mが怖く感じました〜






 10.11日目  2016年12月2日〜3日
 
デンポチェ〜トクラ〜ロブチェ
4.410m〜4.590m〜4.910m
    

デンポチェ〜ロブチェ間は、中間点のトクラで昼を食べ、

ロブチェに泊まるのが普通ですが、

私たちは2日間かけてゆっくりロブチェへ行きます。




動物の放牧のための小屋






エベレスト街道で最も美しい区間だと言われている、

高原沿いの道を、ビスターレ・ビスターレ(ゆっくり)歩きました。



午前中にはトクラに到着



トクラには2件のロッジがあるのみです。

後ろはデボチェの山


ここで一人旅の男子学生(1年休学中)に会いましたが、

彼もトクラには泊まらずにロブチェへ行きました。




部屋は狭いですが、2人部屋を1人で使ったので十分な広さです。

2人で使ったら荷物置く場所が大変



翌日は強風の中、いきなりの急登

薄い空気の中で、ここが正念場

エベレスト登山で亡くなったシェルパの遭難碑を通り、




大きなプモリ(7138) 右隣がリントレン(6713) クンブツェ(6639)

中国との国境線をつくる山々だそうです。



スタッフが私たちの荷物を運んでくれています。

私の荷物は、部屋の外に出すのも重いのに、

2人分の荷物を担いでいます



ロブチェに着きました。

ここはトレッキング人口が増えたので、

最近たくさんのロッジが建ったそうです。




私達のロッジは一番奥のロッジでした。



ランチのラーメンは久しぶりに麺が食べられて元気が出ました。



部屋は広く綺麗でした。

廊下には流し台があったので、
歯を磨くのに外に出なくてもいいので楽でした

ここまで全て一人部屋を頂きました。

ここから先は2人部屋になります。


シーズン中はごった返すほどの賑わいだそうですが、

今はシーズンオフでお客もチラホラ・・・

約5.000mなので血中濃度と脈拍を計りました。

血中濃度86 脈拍78 思ったよりもいい数字で安心しました。


4人共5000m近くなのに通常と変わりなく、

元気で食欲とおしゃべりもあり、ガイドのサティスさんも驚いていました。


それもこれも、毎日4リットル以上のお湯のおかげ。

お湯はネパール語で「タトパニ」と言います。

毎日毎日「タトパニ プリーズ」


トイレが近いのが難点で、
1ロール500円のトイレットペーパーの消費が激しくて・・・


 
 12.13日目  12月4日〜5日
 
ロブチェ〜ゴラクシェブ〜ベースキャンプ〜
4910m〜 5180m〜  5385m〜
カラパタール〜ロブチェ 
5545m〜  4910m  



今日は今までのトレッキングの中で一番ハードな一日です

午前中はロブチェ〜からゴラクシェブに移動して、

午後からエベレスベースキャンプの往復です。


翌日は早朝から、5545mのカラパタールに登り、

午後は昨日の宿泊地のロブチェまでもどります。


今まで午後から歩くことがなかったので、

今日、明日は辛い2日間になりそうです。




コラクシェブ手前に、スタッフがお茶を持って迎えに来てくれました。



ロブチェを出発して2時間、

エベレスト・ベースキャンプの玄関口、ゴラクシェブに到着しました。


前日は単独で来ていた日本人が、高山病で生きるか死ぬか、

だったそうで、緊急ヘリでカトマンズまで運ばれたらしいです。


十分な有給を取れない日本人は、高度順応をせずに強行登山し、

急性高山病で倒れる割合が多いらしい。
長期で歩ける私たちは、恵まれていると言えます。






ゴラクシェブにはロッジが少なく、シーズン中は常に満室だそうです。

ロッジで共通しているのが、トイレが汚く、水道はないです。

部屋もベニアの箱に入っている感じ


トイレは3ツ、どれも汚い

使い古しのジュースの缶が瓶の中に浮いていて、それで水を流す方式

11月中旬以降、氷点下になるロッジでは朝、水は凍って水が流せなくなる。

幸い私達は12月なのに瓶の表面だけ水が凍っていたので水は流せた。

トイレットペーパーはどこのロッジでもゴミ箱に捨てます。

トイレの水がどこに流れるのかな〜〜




昼食後にベースキャンプへ向けて出発しました。



シーズン・オフなので登山隊のテントは無かったけど・・・

エベレストのベースキャンプまで来た!感激



翌日は、この旅一番のハイライト「カラパタール」へ登ります。


日の出を見るために朝5時出発。

朝は寒い

4人、おそろいの「ニレカ・ダウン」を着て、

(ツアー会社から寝袋と厚手のダウンを貸してもらえます。)

下はガイドからの指導で、タイツ・ダウンパンツ・カッパで出発しました。


聞いての通り、「カラパタールは見えるけどなかなか着かない。」

約350mを3時間かけて到着しました。




天気は晴れエベレストがすごく近く見えました。(写真右)

昨日は曇っていたらしく、ここでも私たちは何てラッキー!




私の時計は5.590mを示していました。

映画「神々の頂」のキャストのサインがゴラクシェブのロッジにありました。

強烈な臭いのトイレに、阿部寛や岡田准一も入ったのでしょう。



ゴラクシェブのロッジを後にして、

(1泊でよかった



下山後は一昨日泊まったロブチェのロッジへ戻りました。

こんなところにも「スーパードライ」の垂れ幕が・・


昨日のロッジに比べて、ロブチェのロッジが、

ものすごく綺麗で快適に感じました。




ハードな2日間が終わり少しだけ安心しましたが、まだまだ先は長いです。

5000mなのにお花がありました



 
 14〜16日目  12月6日〜8日
 
ロブチェ〜ゾンラ〜チョラBC〜チョラ・パス(峠)〜
4910m〜4830m〜5000m〜5330m〜
チョラBC〜タンナ
5000m〜4700m
 


昨日のカラパタールよりも高いところは無いので、

とりあえず高山病は安心ですが油断はできません。


今日からロッジが当てに出来ないので、2日間キャンプ生活です。

あまり人が来ないコースなので、

シーズンオフはロッジが閉まっていることが多いらしい。


今日はチョラパス手前のベースキャンプでテント泊まりをして、

明日は、チョラパスを越え、ゴーキョ方面に歩きます。


このコースは雪があったら危ないので天候次第でしたが、

今年は暖かいので行くことになりました。






ロブチェを出て、こんな景色を見ながら歩きます



遠くに見えるのは〜?



私たちのテント村で〜す

私達のテントは2名で1張、食堂兼スタッフの寝床、ガイドのテント、

台所&スタッフの寝床、トイレ。

まるで小さな村のようです。





翌日は、チェラ峠を目指します。

雪渓の登りがあるので、

スタッフは前日は遅くまで私たちの為にロープを掛けてくれ、

歩きやすくしてくれていました




シーズンオフなので、誰も登っていません



あと少し



チェラ・パス(峠)に到着




登ったら当然下り道があるわけで・・・

小石で滑り、膝に悪い急な下りです

飽き飽きして下ると、私たちのテントが見えました。


日本なら、どんなに疲れていても自分たちでテントを張って、

食事を作って、水の用意をして・・・・

ここでは、自分の体調管理だけすればいいのです。

大名トレッキング万歳



このコースが難しいと言われているのは、

次のロッジまで5〜7時間以上かかることです。


そして冬は予期無く閉まっていることもあり、

私達はスタッフが運んでくれるテントがあるので

峠越えをすることが出来ました。


ここでスタッフの話を少々

スタッフは、翌日に私達が行く場所に荷物を置いて、又私達の場所に戻ってきます。

重い荷物を持って、私達の3倍を歩いているのです。

そして早い。40kgの荷物を持っているのにアッという間に姿が見えなくなります。

そして次の目的地に到着したら、お茶を持って私達を迎えに来てくれます。

お茶当番の人は、私達の3倍以上歩くことになります。



私達4名に、8名のスタッフが付きました。

テントも張ってくれて、お茶の用意・食事の用意。

スタッフの人たちは働き者で本当にすごいです。

仕事とは言え、何から何までお世話してくれます。





人里離れた場所にゴミ箱が

誰がこの時期に回収に来るの!!





翌日はキャンプ地を後にして、
1時間弱歩き、タンナのロッジが見えてきました。




出発から約10日間1人部屋を取ってくれていましたが、

私的には1人よりも2人部屋の方が励まし合うこともでき、

精神的に安定したように思えます。

毎日長い時間を寒いロッジの部屋で過ごします。

シーズンオフの食堂はストーブを点けていないので、

(食事の時だけ少し焚いてくれる程度)

お昼を食べたら、部屋の中で寝袋にくるまっている時間が長く暇です。


タブレットで音楽を聴いたり、電子本を読んだりできますが、

充電が出来ないロッジも多いので、

バッテリーがもったいないので点けっ放しには出来ません。


ここタンナのロッジは、ストーブを景気よく焚いてくれたので、

夜はスタッフも一緒にストーブを囲んで,

サティスさんの通訳でおしゃべりを楽しみました。


いきなり大きな外人の男性2人

(一人はガイド兼シェルパー)が到着しました。



疲れて憔悴している様子です。
なんと彼らは、カラパタールから来たらしい。
私達が4日かけて歩いた道を一日で来た!

あのすばらしい景色も見ないで、ひたすら歩いてきたのでしょう。(もったいない)

彼らは、ダルバートの大盛りを3回もお代わりをして、即部屋に入り寝ました。



食事はポップコーン・日本のお餅・ピザ・焼きそば

特にお餅は美味しかった。

日本を経って18日目

日本食が恋しくなりました




 
 17〜18日目 12月9日〜10日
 

タンナ〜ゴーキョ〜ゴーキョピーク
4700m〜 4750m〜  5360m




ロッジを出発すると、氷河を横断してゴーキョへ向かいます。

氷河はまるで月を歩いている感じ

(月は歩いた事ないけど)採石場と言った方がわかりやすい。

ザクザクと歩きます。

埃がすごく、はっきりした道が無いので迷子になりそうです。




採石場(氷河)を通り抜けると、湖の畔にゴーキョの村が見えました。(右下)

後ろに見えるのが明日登るゴーキョの山(5360m)です。



宿泊したロッジと食堂。

部屋にコンセントもあり充電OKです。



朝、寝坊してしまった!!!

ここは標高5000m、急いで用意したらさすがに息切れ。
頭はパニック!行動が伴わない!




ロッジを出発して、緑の線を歩きます。

黒の線は翌日に歩くレンジョラ峠に続く道です。


朝6時からヘッドラントを頼りに、暗い湖の畔を歩きます。

昨日の採石場(氷河)で、すっかり喉をやられてしまった。

咳が止まらない。息苦しい。




見えるけど、なかなか着かない



標高差600mをゆっくり歩き、3時間で頂上に到着しました。

頂上に着くと下からスタッフが、ポットを持参して登ってきてくれています。

贅沢にも頂上でお茶会です。




スタッフも一緒に写真を写して、1時間以上も頂上にいました。


エベレストは25km離れていて、かなり後ろに見えました。



私たちのロッジが湖の畔に見えます。

この綺麗な景色は、今の寒い時期だから見られるそうです。

トレッキングの時期は景色を取るか、暖かさを取るか




下山後はうどんが
3杯おかわりしました〜

ゴーキョ登頂のお祝いにケーキまで作ってくれるスタッフに感謝




 
 19日目  2016年2月11日
 

ゴーキョ〜 レンジョBC
4750m〜  5050m       


昨日のゴーキョも成功に終わり、残すミッションはレンジョパスだけです。



普通はゴーキョからナムチェ方面に下るのが一般的ですが、

私たちは昨日登ったゴーキョの脇を通ります。


2度目のIさんは前回、ナムチェ方面に下ったので、

ここからは4人とも未知の世界となります。





今日の宿泊は、レンジョパス(峠)の手前にテントを張りました。

その日は強風でテントがクネクネして、

食事も各自のテントですることになりました。

(通常はみんなで、食堂のテントで食べていた)


5,000m超えのテント生活は、さほど空気の薄さは感じないけれども、

とにかく寒い、風が強い、ウエットテッシュも凍ってしまう。


夜中にトイレへ行くときには、テントから這い出るのが大変で、

急ぐと息がきれるけど、急がなきゃならない・・・


プラスチックのポットにお湯を入れて、湯たんぽ替わりにして、

たくさん着込んで暖かく寝られた


空気の薄い方が寝られるのか、普段の生活よりも毎日寝ました。

ただ、埃で喘息になってしまい、特に夜寝るときには咳で苦しい毎日でした。









ここからの景色は素晴らしく、月も満月に近い状態で、

夜、月明かりがとても明るく、

私達以外は誰もいない静寂な中で、怖いくらい美しかった




 
 20日目  2016年12月12日
 

レンジョラBC 〜 レンジョパス〜タラモラン
5050m〜    5345m〜    4000m

相変わらずの咳に悩まされ、今までで一番、

足が重いと感じながらの出発です。


2ツのピークと、2ツの峠が今回の難所でしたが、

それも今日のレンジョパス(峠)で終わりです。




レンジョパスは出発からすぐに急な登りです。

歩いても、歩いても、永遠に着かないのでは?と思うくらい、

この旅一番の苦しく、そして最後の登りです。


上を見上げるとあまりにも遠くに感じるので、

足元だけを見て余計な事は考えず、歩数だけを数えて登りました。




そしてとうとう頂上に着いたのです。



涙が出てくる程感激しました



仏教徒のサティスさんは、すべての難所が終わり、仏様に感謝していました。




レンジョパスから下りの道もすばらしい景色でした。



人の気配を感じない、一本の道を歩いて下って行きます。



かなり先に、私たちのスタッフが歩いています。



先に歩いていたスタッフが、お茶の用意をしてくれていました。

疲れていたので感激



「こんなところに日本人」どころか、「こんな所に家が・・・」

どうやって生活しているの??

今日はマルルン村のロッジの予定でしたが、

ロッジが閉まっていて、次のロッジまで行くと、そこも閉まっていました。




日も落ちてきそうなので、テント泊となりました。


4000mでのテント泊は、昨日よりもずっと楽でした。

1000mの違いで、空気の暖かさも全然違うんです。


5000mのテント泊は寒くて、大変だったなぁ・・と改めて感じました。


今日で2ツのピークと2ツの峠、全て終わり、あとは下るだけです。

気持ちも体も、ものすごく楽に感じました


 
 21〜24日目 2016年12月13〜16日
 

タラモラン〜 ターモ〜 ナムチェ〜 ルクラ
4000m〜  3490m〜 3440m〜  2885m




乾季なので風が吹くとこんな感じ

ネパールに入って約1ケ月、雨は降っていないもんね。



橋が見えました。



橋を渡ると、



タラモランからターモまでの景色は下界に近づいたという感じの道でした。

昔からチベット交易の道なので、チベット人が書いた絵があったり、




チベット人のおばさまと一緒に歩いたり・・



宿泊するターモはナムチェ近くの村です。



電気も通ってしるし、



外には水道がありました。流れる水で手を洗うのも久しぶりです。

気温もかなり暖かく感じます。



翌日は、歩くたびに都会を感じます。



19日ぶりに、ナムチェバザールに到着しました

すごく懐かしい感じがしました。

18日前にはロッジに着いて具合が悪くなって、

この先どうしようと不安一杯だったのが遠い昔みたいに感じた




宿泊したロッジ裏、この道から、本格的なトレッキングが始まりました。

不安を抱いたままこの登りを歩いたね。

「さあ、もう一度あの道を登るよ」と冗談で言い合い
あの道から始まったのよねぇ〜と4人でしみじみ・・・

それぞれの旅の思い出が脳裏をかすめたと思います




ナムチェを出発して2日目、ルクラに到着しました。

この門から出発して、全員揃って戻ってきました。

この像の人は、初めて女性でエベレストに登った人だそうです。


ルクラのロッジに到着すると、

サティスさんより、缶ビールの差し入れがありました。

ネパールに着いてから初めてのビールです。

(出発前に風邪をひいて、カトマンズの2日間は飲まなかった)

26日ぶりのビールは、少し温かったけど美味しかった。



ルクラでは、スタッフとお別れパーテーをしました。

約1ケ月お世話になりました。





スタッフからはケーキのプレゼント



私たちからは感謝の気持ちの「チップ」を渡しました。



翌日はルクラから飛行機でカトマンズへ

もう二度と来ないと思ったけど、辛かった事を忘れてしまい、


「もう一度同じルートを歩いてみたい」と思う今日この頃です。




最後にお金の話とカトマンズ市内


カメラの充電は5000mでは500円位

トイレットペーパーも1ロール500円位


当然ですが、標高が上がると値段も上がります。

ルクラで飲んだビールは500ccで600円〜700円位

飛行機で運ぶので価格は高いです。

カトマンズの平均収入は3万円位が標準だそうですが

、3万円では生活は厳しいそうです。


ネパールでは、学校は義務教育では無いので、

お金の無い子は学校に行っていません。

スタッフも読み書き出来ない人もいます。


スタッフの子供は、サティスさんが学費を払っているそうです。

(年間3万円位かかるそうです)スタッフの中には、

ルクラから歩いて3日かかる所に住んでいる人もいます。


東南アジアは10年後に行くと、ビルが建ったり、

道路が出来ていたりと発展が早いけど、

ネパールに関しては10年後も変わらずだと思います。







世界遺産の観光地も、地震の復興があまり進んでいない感じでした。



今にも倒れそうなので、つっかえ棒している

壊すお金も無いらしい・・・世界遺産なのに・・・


観光ガイドさんは「とにかく政治が悪い。

自分の懐ばかり肥やしている」と嘆いていました。


山以外にも、色々と考えさせられることが、たくさんあった旅でした。




カトマンズ市内は、崩れ落ちそうなビル・埃と排気ガス、車も人も多かった


12月21日に無事に千歳空港に遅れて着いたけれど、

最終列車に間に合い、夜中の12時半に自宅に着きました。



いちご〜〜ただいま〜〜

いちごはびっくりして、うれションしました〜


翌日から大雪で2日間空港が閉鎖状態
1日違っていたら経由の仁川に戻されていたかも・・・


エベレスト街道 お し ま い