エベレスト街道NO1 出発準備 |
2016年11月21日〜12月21日までネパールへ エベレストベースキャンプ〜カラパタール〜 チョラ・パス〜ゴーキョ〜レンジョラ・パス 25日間 エベレスト街道トレッキング かなり前に、NHK BSで「天空の散歩道 エベレスト街道」を見て、
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1日目 2016年11月23日 |
カトマンズ〜ルクラ〜パクジン 1375m〜2840m〜2610m 早朝にカトマンズから小型飛行機でルクラに到着。 噂通り手に汗握るフライトで、どうか落ちませんように・・ 飛行機を降りたら、クワンデの山が見えました。 すぐ近くのロッジで朝食を食べて出発です。 ここからいよいよトレッキングの開始です。 この方は初めてエベレストに登頂した女性だそうです。 ルクラから約200m標高を下り、今日の宿泊地はパクジンです。 私の服装は、日中は半そでのシャツの上に長袖のシャツ。下はズボンのみでした。 歩くと結構暑いです。寒くなったら薄いジャッケトを着用。 すれ違う人たちは、疲れ切った感じで最後の道を登って来ます。 疲れた帰り道、この道を登ると思うと気が重かった。 (まだ1日目なのに、もう帰りを気にしている) 今日の宿泊地パクジンに到着 夕食はネパール人の定番「ダルバート」(豆のスープ)です。 初めての宿泊は一人部屋を取ってくれましたが、(閑散期なので・・) 薄暗く怖い感じの部屋で、トイレの水がポタポタ・・ 電気を点けっぱなしで一睡も出来ず朝を迎えました(笑) |
2日目 2016年11月24日 |
パクジン〜モンジョ 2610m〜2890m タムセルクを正面に見ながら進みます。 ヤクやゾッキョがプロパンガスを運んでいます。 人間もコーラーや日用品やベニア板など、 重く大きな荷物を担いで登っています。 歩くしか運ぶ手段は無いのは大変な事です。 巨大なマニ石は時計回りに歩きます。 初めての吊り橋を渡ります。ドゥード・コシ川(ミルク川) この後、数えきれないほどの吊り橋を渡りました。 吊り橋は長いので、酔った感じになります。 道はものすごい埃、マスクは必需品です。 喉をやられないように、鼻から吸って口から出すが基本。 マスクは眼鏡が曇るのが難点です。 コンタクトはNG持参したコンタクトは使わず、毎日眼鏡で過ごしました。 目の悪い方は「度付きサングラス」が必需品です。 道の至る所にゾッキョやヤクの糞があるので、足元ばかり見て歩きます。 景色に気を取られると、地雷(糞)を踏んでしまいますのでご注意を!! 普通ナムチェまで2日間で行きますが、私達は3日間かけて向かいました。 お昼には宿泊地のモンジョに到着しました。 お昼ご飯と夕ご飯 ザクロの実のデザート 初めて食べたけどおいしかった |
3日目 4日目 2016年11月25日〜26日 |
モンジョ〜ナムチェ 2890m〜3400m ナムチェに着く手前に、展望台があります。 ここで初めて、エベレスが遠くに小さく見えます。 この旅の先の長さを感じるね〜 ここは1800年代まではチベットとネパールの国境で、 その頃の国境はネパール寄りで、ナムチェはチベットの一部だったそうです。 ナムチェは土曜日で、バザールが開催していましたが、 ほとんど「フリマ」に近かったです。 お店が出来て年々規模が小さくなっているらしい。 2人部屋を一人で使わせてもらいました。 昼食後、急に具合が悪くなり「高山病?」と思い 「先は長いのに、この高度でダウン!?」 血中濃度が94なので、単なる風邪のぶり返しと分かり安心。 薬を飲み、暖かくして寝たら、翌朝にはスッキリでした。 何事も初めてだったので、緊張による疲れもあったと思います。 初日に一睡も出来なかったのも原因だと思いました。 高度順応のため、もう一泊ナチェに泊まります。 ナムチェで購入したの。 安いのでついつい買っちゃいます。 ロッジはこんな高台にありました。 下るとナムチェの繁華街があります。 大きなロッジでした。 隣にはシェルパ博物館がありました。 ロッジのオーナーは写真家で、 日本にも来たことがあるとのことでした。 食堂にはたくさんの写真が飾ってありました。 |
5 日目 2016年11月27日 |
ナムチェ 〜クムジュング 3400m〜3800m エベレストベースキャンプ・カラパタールを目指すには、 ホテルの裏の、小高い丘からスタートです。 サブリーダーのマンタレ君 一番後ろで私たちを見守りながら歩いてくれます。 急な登りの先には、ヒマラヤの真っ白い山々、 奥には8000m級の山々の景色が待っていました。 青い空、一本の道、全てが絵になるね 犬も山を眺めています。 我が家のいちごは元気かなぁ・・・ 2時間程歩いたらエベレスト・ビューホテルに到着。 このホテルは日本人がネパール人雇用のために建てたホテルです。 素晴らしい景色 お茶とフライドポテトを注文して景色を堪能しました。 前日は曇っていたらしいのでラッキー エベレストホテルから1時間下ると、宿泊地のクムジュンに到着ました。 エベレストに初登頂したヒラリーが創設した サー・エドモンド・ヒラリー・スクールがクムジュン村にあります。 ロッジの後ろには「クンビーラ」 水の神が住む山という意味で、ここは水が豊富です。 ロッジは綺麗で暖かく快適でした。 この時期は閑散としていてストーブをなかなか点けてくれないロッジが多いのです お昼ご飯もおいしい 久しぶりにネットを繋いで(500円)日本の様子とメールをチェックしました。 ここは2年前の地震でかなりの被害を受けていて、 4年前に伊藤さんが宿泊した所も被害を受けて今は無いらしいのです。 そんな話をしていたら、朝4時に大きな地震で飛び起きた! 幸い被害にまで及ばず良かったです。 宿泊したロッジとオーナー家族 |
6日目 2016年11月28日 |
クムジュング〜モンラ〜ポルチェ 3800m〜3973m〜3700m 今日は3973mの「モンラ」を経由して、宿泊地のポルチェへ下ります。 天気は曇りで肌寒い。 私たちはあまり人の通らない「ヤギ道」を歩きます。 狭くて急登が続きます。 狭い道にもヤクやゾッキョが登って来ます。 端に寄らないとぶつかりそうで危険です。 途中ネパールの国鳥「ダフィー」を見つけ、夢中でカメラを写す 動くので大変 今にも雨が降りそうな中、「モンラ」に到着しました。 振り返ると歩いて来たヤギ道が・・ お茶を頂きながら、 「ここのお姉さんの髪が綺麗だけど、こんなところでも洗えるのかなぁ?」 トイレを借りたら、洗面台にはシャンプー・リンス・トリートメントなど、 たくさん揃っていました。 手入れをしているんだね。 と綺麗な理由を納得した4名のおばさんでした。 そろそろ私たちも髪を洗いたいね〜〜 この寒さ、ぬるいお湯で髪を洗うと、 現地以外の人は間違いなく風邪を引きます 谷を挟んで向かいには、空中都市のような「ポルチェ」の村が見えます。 ポルチェのロッジで、日本人の若夫婦に会いました。 宿泊は私達以外はこの夫婦だけでした。 奥様が高山病でゴーキョを諦め下りて来たそうです。 自分もなったら・・・今後が心配になりました。 夕食は「ダルバート」でした。 豆のスープをご飯にかけて頂きます。 ここのオーナーは何度もエベレストに登っているらしいです。 緑はガイドのサティスさん、黄色がオーナー 閑散期のロッジは空いていて、スタッフもストーブを囲んで楽しそうです。 シーズン中はお客がたくさんで、スタッフは食堂に入れないそうです。 ここのロッジは部屋にトイレがあった。 1日4リットルの水分ノルマがあるので、 夜中に何度もトイレに行くので便利でした。 |
7日目 2016年11月29日 |
ポルチェ 〜パンポチェ 3960m〜 3960m ポルチェ村を後にして、 昨日と違い、ネパールダウンが出て気持ちいのいいトレッキング日和です。 これから先「アマダブラム」が形を変えて見ることになります。 ナムチェを出発して、クムジュング〜ポルチェ〜パンポチェは、 マイナーなコース&シーズンオフで、ロッジはどこも空いていました。 トレッキング中も現地の人以外とは会いませんでした。 ここパンポチェはエベレスト街道最奥の常住村です。 ここから先の建物は、トレッキング用のロッジと、 夏場に放牧の為に使う小屋があるだけです。 お昼ご飯はサンドイッチ・ポテト 夜はスパゲテー もも(餃子のことです) スタッフが3食作ってくれます。 ここのロッジの経営者は、僧侶も兼ねているらしく、 私たちに白いスカーフ「カタ」を掛けてくれました。 チベット仏教では人に対して敬意を表すとき、 これを肩にかける習慣があるそうです。 お客は私たちだけでした。 スタッフもストーブを囲んで・・・ |
8・9日目 2016年11月30日〜12月1日 |
パンポチェ〜デンポチェ 3960m〜4410m パンポチェから荒涼とした道を歩くと、 ディンボチェのロッジが見えてきます。 4410mのデンポチェに2日間泊まります。 標高が上がる程に、朝夕は寒く窓には霜がビッシリ。 ここはトレッキングのためのロッジがあるだけで、 人々の生活の場ではありません。 エベレストベースキャンプ・カラパタール・チュクン方面に行く人は、 ここに泊まり高度に備えます。 この丘に登って高度順応しました。 たくさんの外国人も順応のために登っていました。 丘の上からの景色 右端が私たちのロッジです。 明日歩くトクラまでの道 お日様が出ているうちに衣類を乾かしました。 午前中は雪景色になりましたが、 通年よりも今年は暖かいとのことでラッキーでした。 夕食はおでん 4000m超えを記念して、スタッフからケーキのプレゼント 夕食を食べていると、オーストラリアの男性が高山病で下山して来ました。 お茶も飲めないほど苦しそうで、体調が戻ったら下山するそうです。 5000mが怖く感じました〜 |
10.11日目 2016年12月2日〜3日 |
デンポチェ〜トクラ〜ロブチェ 4.410m〜4.590m〜4.910m デンポチェ〜ロブチェ間は、中間点のトクラで昼を食べ、 ロブチェに泊まるのが普通ですが、 私たちは2日間かけてゆっくりロブチェへ行きます。 動物の放牧のための小屋 エベレスト街道で最も美しい区間だと言われている、 高原沿いの道を、ビスターレ・ビスターレ(ゆっくり)歩きました。 午前中にはトクラに到着 トクラには2件のロッジがあるのみです。 後ろはデボチェの山 ここで一人旅の男子学生(1年休学中)に会いましたが、 彼もトクラには泊まらずにロブチェへ行きました。 部屋は狭いですが、2人部屋を1人で使ったので十分な広さです。 2人で使ったら荷物置く場所が大変 翌日は強風の中、いきなりの急登 薄い空気の中で、ここが正念場 エベレスト登山で亡くなったシェルパの遭難碑を通り、 大きなプモリ(7138) 右隣がリントレン(6713) クンブツェ(6639) 中国との国境線をつくる山々だそうです。 スタッフが私たちの荷物を運んでくれています。 私の荷物は、部屋の外に出すのも重いのに、 2人分の荷物を担いでいます ロブチェに着きました。 ここはトレッキング人口が増えたので、 最近たくさんのロッジが建ったそうです。
部屋は広く綺麗でした。 廊下には流し台があったので、 歯を磨くのに外に出なくてもいいので楽でした ここまで全て一人部屋を頂きました。 ここから先は2人部屋になります。 シーズン中はごった返すほどの賑わいだそうですが、 今はシーズンオフでお客もチラホラ・・・ 約5.000mなので血中濃度と脈拍を計りました。 血中濃度86 脈拍78 思ったよりもいい数字で安心しました。 4人共5000m近くなのに通常と変わりなく、 元気で食欲とおしゃべりもあり、ガイドのサティスさんも驚いていました。 それもこれも、毎日4リットル以上のお湯のおかげ。 お湯はネパール語で「タトパニ」と言います。 毎日毎日「タトパニ プリーズ」 トイレが近いのが難点で、 1ロール500円のトイレットペーパーの消費が激しくて・・・ |
12.13日目 12月4日〜5日 |
ロブチェ〜ゴラクシェブ〜ベースキャンプ〜 4910m〜 5180m〜 5385m〜 カラパタール〜ロブチェ 5545m〜 4910m 今日は今までのトレッキングの中で一番ハードな一日です 。 午前中はロブチェ〜からゴラクシェブに移動して、 午後からエベレスベースキャンプの往復です。 翌日は早朝から、5545mのカラパタールに登り、 午後は昨日の宿泊地のロブチェまでもどります。 今まで午後から歩くことがなかったので、 今日、明日は辛い2日間になりそうです。 コラクシェブ手前に、スタッフがお茶を持って迎えに来てくれました。 ロブチェを出発して2時間、 昼食後にベースキャンプへ向けて出発しました。 シーズン・オフなので登山隊のテントは無かったけど・・・ 翌日は、この旅一番のハイライト「カラパタール」へ登ります。 天気は晴れエベレストがすごく近く見えました。(写真右) 昨日は曇っていたらしく、ここでも私たちは何てラッキー! 私の時計は5.590mを示していました。 映画「神々の頂」のキャストのサインがゴラクシェブのロッジにありました。 強烈な臭いのトイレに、阿部寛や岡田准一も入ったのでしょう。 ゴラクシェブのロッジを後にして、 (1泊でよかった) 下山後は一昨日泊まったロブチェのロッジへ戻りました。 ハードな2日間が終わり少しだけ安心しましたが、まだまだ先は長いです。 5000mなのにお花がありました |
14〜16日目 12月6日〜8日 |
ロブチェ〜ゾンラ〜チョラBC〜チョラ・パス(峠)〜 4910m〜4830m〜5000m〜5330m〜 チョラBC〜タンナ 5000m〜4700m 昨日のカラパタールよりも高いところは無いので、 とりあえず高山病は安心ですが油断はできません。 今日からロッジが当てに出来ないので、2日間キャンプ生活です。 あまり人が来ないコースなので、 シーズンオフはロッジが閉まっていることが多いらしい。 今日はチョラパス手前のベースキャンプでテント泊まりをして、 明日は、チョラパスを越え、ゴーキョ方面に歩きます。 このコースは雪があったら危ないので天候次第でしたが、 今年は暖かいので行くことになりました。 ロブチェを出て、こんな景色を見ながら歩きます 遠くに見えるのは〜?
翌日は、チェラ峠を目指します。 雪渓の登りがあるので、 スタッフは前日は遅くまで私たちの為にロープを掛けてくれ、 歩きやすくしてくれていました シーズンオフなので、誰も登っていません あと少し チェラ・パス(峠)に到着 登ったら当然下り道があるわけで・・・
翌日はキャンプ地を後にして、 出発から約10日間1人部屋を取ってくれていましたが、 食事はポップコーン・日本のお餅・ピザ・焼きそば |
17〜18日目 12月9日〜10日 |
タンナ〜ゴーキョ〜ゴーキョピーク 4700m〜 4750m〜 5360m ロッジを出発すると、氷河を横断してゴーキョへ向かいます。 氷河はまるで月を歩いている感じ (月は歩いた事ないけど)採石場と言った方がわかりやすい。 ザクザクと歩きます。 埃がすごく、はっきりした道が無いので迷子になりそうです。 採石場(氷河)を通り抜けると、湖の畔にゴーキョの村が見えました。(右下) 後ろに見えるのが明日登るゴーキョの山(5360m)です。 宿泊したロッジと食堂。 ロッジを出発して、緑の線を歩きます。 黒の線は翌日に歩くレンジョラ峠に続く道です。 朝6時からヘッドラントを頼りに、暗い湖の畔を歩きます。 昨日の採石場(氷河)で、すっかり喉をやられてしまった。 咳が止まらない。息苦しい。 見えるけど、なかなか着かない 標高差600mをゆっくり歩き、3時間で頂上に到着しました。 頂上に着くと下からスタッフが、ポットを持参して登ってきてくれています。 贅沢にも頂上でお茶会です。 スタッフも一緒に写真を写して、1時間以上も頂上にいました。 エベレストは25km離れていて、かなり後ろに見えました。
下山後はうどんが 3杯おかわりしました〜 ゴーキョ登頂のお祝いにケーキまで作ってくれるスタッフに感謝 |
19日目 2016年2月11日 |
ゴーキョ〜 レンジョBC 普通はゴーキョからナムチェ方面に下るのが一般的ですが、 今日の宿泊は、レンジョパス(峠)の手前にテントを張りました。 ここからの景色は素晴らしく、月も満月に近い状態で、 夜、月明かりがとても明るく、 私達以外は誰もいない静寂な中で、怖いくらい美しかった |
20日目 2016年12月12日 |
レンジョラBC 〜 レンジョパス〜タラモラン 5050m〜 5345m〜 4000m 相変わらずの咳に悩まされ、今までで一番、 足が重いと感じながらの出発です。 2ツのピークと、2ツの峠が今回の難所でしたが、 それも今日のレンジョパス(峠)で終わりです。 レンジョパスは出発からすぐに急な登りです。 歩いても、歩いても、永遠に着かないのでは?と思うくらい、 この旅一番の苦しく、そして最後の登りです。 上を見上げるとあまりにも遠くに感じるので、 足元だけを見て余計な事は考えず、歩数だけを数えて登りました。 そしてとうとう頂上に着いたのです。 涙が出てくる程感激しました 仏教徒のサティスさんは、すべての難所が終わり、仏様に感謝していました。 レンジョパスから下りの道もすばらしい景色でした。 人の気配を感じない、一本の道を歩いて下って行きます。 かなり先に、私たちのスタッフが歩いています。 先に歩いていたスタッフが、お茶の用意をしてくれていました。 疲れていたので感激 「こんなところに日本人」どころか、「こんな所に家が・・・」 どうやって生活しているの?? 今日はマルルン村のロッジの予定でしたが、 ロッジが閉まっていて、次のロッジまで行くと、そこも閉まっていました。 日も落ちてきそうなので、テント泊となりました。 4000mでのテント泊は、昨日よりもずっと楽でした。 1000mの違いで、空気の暖かさも全然違うんです。 5000mのテント泊は寒くて、大変だったなぁ・・と改めて感じました。 今日で2ツのピークと2ツの峠、全て終わり、あとは下るだけです。 気持ちも体も、ものすごく楽に感じました |
21〜24日目 2016年12月13〜16日 |
タラモラン〜 ターモ〜 ナムチェ〜 ルクラ 4000m〜 3490m〜 3440m〜 2885m 乾季なので風が吹くとこんな感じ ネパールに入って約1ケ月、雨は降っていないもんね。 橋が見えました。 橋を渡ると、 タラモランからターモまでの景色は下界に近づいたという感じの道でした。 昔からチベット交易の道なので、チベット人が書いた絵があったり、 チベット人のおばさまと一緒に歩いたり・・ 宿泊するターモはナムチェ近くの村です。 電気も通ってしるし、 外には水道がありました。流れる水で手を洗うのも久しぶりです。 気温もかなり暖かく感じます。 翌日は、歩くたびに都会を感じます。 19日ぶりに、ナムチェバザールに到着しました すごく懐かしい感じがしました。 18日前にはロッジに着いて具合が悪くなって、 この先どうしようと不安一杯だったのが遠い昔みたいに感じた 宿泊したロッジ裏、この道から、本格的なトレッキングが始まりました。 不安を抱いたままこの登りを歩いたね。 「さあ、もう一度あの道を登るよ」と冗談で言い合い あの道から始まったのよねぇ〜と4人でしみじみ・・・ それぞれの旅の思い出が脳裏をかすめたと思います ナムチェを出発して2日目、ルクラに到着しました。 この門から出発して、全員揃って戻ってきました。 この像の人は、初めて女性でエベレストに登った人だそうです。 ルクラのロッジに到着すると、 ルクラでは、スタッフとお別れパーテーをしました。 スタッフからはケーキのプレゼント 私たちからは感謝の気持ちの「チップ」を渡しました。 翌日はルクラから飛行機でカトマンズへ もう二度と来ないと思ったけど、辛かった事を忘れてしまい、 「もう一度同じルートを歩いてみたい」と思う今日この頃です。 最後にお金の話とカトマンズ市内 カメラの充電は5000mでは500円位 トイレットペーパーも1ロール500円位 当然ですが、標高が上がると値段も上がります。 ルクラで飲んだビールは500ccで600円〜700円位 飛行機で運ぶので価格は高いです。 カトマンズの平均収入は3万円位が標準だそうですが 、3万円では生活は厳しいそうです。 ネパールでは、学校は義務教育では無いので、 お金の無い子は学校に行っていません。 スタッフも読み書き出来ない人もいます。 スタッフの子供は、サティスさんが学費を払っているそうです。 (年間3万円位かかるそうです)スタッフの中には、 ルクラから歩いて3日かかる所に住んでいる人もいます。 東南アジアは10年後に行くと、ビルが建ったり、 道路が出来ていたりと発展が早いけど、 ネパールに関しては10年後も変わらずだと思います。 世界遺産の観光地も、地震の復興があまり進んでいない感じでした。 今にも倒れそうなので、つっかえ棒している 壊すお金も無いらしい・・・世界遺産なのに・・・ 観光ガイドさんは「とにかく政治が悪い。 自分の懐ばかり肥やしている」と嘆いていました。 山以外にも、色々と考えさせられることが、たくさんあった旅でした。 カトマンズ市内は、崩れ落ちそうなビル・埃と排気ガス、車も人も多かった 12月21日に無事に千歳空港に遅れて着いたけれど、 最終列車に間に合い、夜中の12時半に自宅に着きました。 いちご〜〜ただいま〜〜 いちごはびっくりして、うれションしました〜 翌日から大雪で2日間空港が閉鎖状態 1日違っていたら経由の仁川に戻されていたかも・・・ エベレスト街道 お し ま い |